« HIDフォグが欲しくなった | トップページ | ガソリン代 »

2008年3月30日 (日)

最後の大森メーター

3月30日 天気は曇り。
それは一本のメールから始まった。

Blue Style Legacyで開示している電子メールに読者の方からメールが届いたのだ。

タイトルは、「大森メーター」。

おっとまた、大森メーター関係のコメントかな?と思った。最近、私のブログでのコメント、又は電子メールは99%が大森メーターがらみだからだ。

しかし中身を見てみると、その内容は「衝撃的」な内容だった。

たったの2行、たった2行のメールには次のように書いてあったのだ。


『大森メーターの近所に住むものですが、一昨日('08.03.29)強制執行が発せられ、
 数ヶ月居座っていましたがついに退去させられました。 』

「え!~~~~~~~~~~~~~~~~」


「まじ!」

当ブログでのいくつかの投稿の中には、
  1)まだ販売や修理を受けている
  2)でも、間違いも多く、争っている
など、どっちにしても活動を継続しているような話しもあったわけだが。

強制執行とは、まだ、穏やかではない内容だ。


ここまで情報をもらったら、見に行かずにはいられない。

というわけで、見に行ってきました。

【衝撃の入り口】
Photo


2


ムザンにもビルの回りには木の板で大きな壁ができていた。そして要所に「立ち入り禁止」のはり紙が。


【そして看板】
Photo_2

(会社名はふせました)


この看板が意味するところは、
 ・既に会社としては倒産している。
 ・東京地裁が押えているので、何らかの破産管財が行われたのだろう。
と考えられる。

ということは、昨今の大森メーターの活動は、なんだったのだろう?

なんという幕切れ。
近いうちに突撃取材を考えていたのだが、それも不可能になってしまった(大嘘)。

大森メーターに関するレポートも今回が最後だろうか。


面白かったら人気blogランキングをお願いします!

« HIDフォグが欲しくなった | トップページ | ガソリン代 »

大森メーター」カテゴリの記事

コメント

ついにこのような日が来てしまいましたか・・・。そもそもの始まりは、一年前。精力的に活動をしていた社長の息子さん2人がお辞めになり、営業のF川氏も後を追うように退職。そこから、ガラガラと音を立てて崩れ去ってしまいましたね。大森メーターはオンリーワンでしたが、あの製品に変わる渋いメーターが市場に存在しないことが、残念でなりません。どうか、復活の日を期待しております。

大森メーターの近所に住む者ーーーーの通知者ですが、昨年ビル(月は?)を売ったそうですが、金をもらったのに引っ越さずに居座っていたので強制執行されたそうです。

はじめまして。突然の書き込み失礼致します。

私、以前に大森メーター製作所の「三島工場(株式会社オーモリ)」で勤務していた者です。
このような事態になっている事に今頃気付きまして、びっくりして書き込みをさせて頂きました。

巷では会社倒産云々、山内社長が行方不明云々という話題ばかりなので、少しメーターの事について触れておこうと思います。

管理人様所有のメーターが壊れているようですが、他サイトでたまに見かける「自力で電球交換」などの行為は絶対にしない方がいいです。

私は機械式温度計の技術主任をしておりましたが、メーターは製造する一連の流れの中に「調整」の作業があります。
大森メーターでは、この調整作業に使用する調整機そのものも自社で設計・製作していたため、手作業での調整は困難でしょう。
また、分解する手順で、指針を抜く必要がある為、再度調整を行わないと、組み立てた後で指針の指す値が間違いなく狂います。

機械式温度計の場合、メーター内部の円形のパイプ(ブルドン管といいます)から配管を通じてセンサー部まで揮発性の高い薬品(ジエチルエーテル)が封入されており、一度センサーや配管を破損すると薬品が抜け出し、メーター内部からセンサー部まで総取替えとなります。

圧力計に関しては、調整時に実際10kgまでの圧力をかけながら調整していましたので、専用の調整機が必要になってきます。
(含・ターボメーター)

いずれにせよ、今となっては個人で修理できるのはバルブ交換くらいが限界でしょう。
ドレスアップ目的でしたら個人的な修理もアリかも知れませんが、実際に指針の値をアテにするレース活動などを行っている方は、バルブ切れ程度は放置するのが良いです。

ちなみに、私が退社したのは平成9年の事なので、かなり前ですが、自宅捜索して出てきたのは排気温度計センサー1個だけでした。
使えるかどうかも怪しい代物ですが・・・

最後に、会社がこうなる事の前兆だったのかも知れませんが、三島工場閉鎖の少し前(平成8年頃)からOEM製品について色々と問題が起こっていたようです。
RE○宮やNI○M○から切られ、挙句にOEMメインだったTR○S○も切れてしまい、工場は閉鎖へ・・・

山内社長は北京語が流暢だったので支社のあった台湾や中国に行っているというウワサもあながち間違いじゃないかも知れませんね。

長文失礼しました・・・

バカヤロー

私、モト大森メーターで働いていた者です。
社長の山内義昭氏には非常にお世話になりました。
今日、偶然にも羽田から出張する機会があり
大鳥居のOMORIメーターを眺めようと、大汗をかきながら
ブロックを歩きました。
しかしみなさんのブログが示すとおり大森メーターは
存在しませんでした。

いまでこそ、ドリフトキングで一部の盛り上がりが残りますが
そのベースでがんばってきた山内氏は、苦情方面のみなさんには
もうわけありませんが偉大であり優秀な職人であり
まじめで実直な人間であります。

工場閉鎖の折にはきっと断腸の思いであったと思います。


さまざまな事情をお持ちの方がいるとは思いますし
金銭的に損害がある方は、いかに説明してもままならないと
思いますが、不況やさまざまな情勢の変化で山内自身が
きっと悩み、全盛のときを思い描いてきっと復活すると
思います。そのときにご迷惑をおかけしたみなさんには
きっと笑顔で、甲高い声で「いやあごめんごめん」
10倍にして返すよ!
と言ってくれるに違いありません。


私は、山内義昭を応援します。
今後も探していつか恩恵を受けた山内氏に御礼申し上げたいと
思います。


ふつつかながら、そう思います。


山内さん、このブログを見ていたらぜひ手がかりを登録してください。

私は永遠に仲間です。

私もキーワードを残します。
蜂の最大限。蘭。二郎。PC-9801M2


ネットから流れてきました

私も山内氏には大変お世話になった者です
台湾へ行くという前に蒲田で何度か食事したりさせてもらいました
その際ボディーガードがついていましたのでやはり大きな問題を抱えていたと思います

大きな仕事には発展していかなかったのですがかなり懇意にお付き合いをさせていただきました
おそらく当時働かれていた従業員の方は私のことを
「あいつ誰なんだろうー?」と思われていたと思います
自由に社長室へ入り勝手にいじり回して一緒に遊んでる・・・

現在携帯電話も繋がらなくなっていますのでやはり台湾に移住したのかと思います

私も山内氏を応援したい気持ちでいっぱいです

RS秋元さん、ぼくと同じ気持ちの方がいてうれしいです。
しかも10年近くたって、コメントが書いてあるなんて。
携帯をご存じだったということはけっこう最近のお知り合いですね。
事務所の入り口にいつも居た営業の大●さんとかはご存知ですかね。
あと、回路設計していたが●●さんもご存じですか?
ネットの世界があれば、いつかお会いできるかもしれないと思っています。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 最後の大森メーター:

« HIDフォグが欲しくなった | トップページ | ガソリン代 »

2023年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

おすすめ!